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秦氏は、弓月国(キルギス・カザフスタン辺り)から日本に渡来してきた。

昔の歴史の教科書では、「帰化人秦氏」と習いました。今は、渡来人秦氏に訂正されています。キルギスには先祖は日本人と兄弟という言い伝えがあります。実際にヨセフの息子たちがマナセ族とエフライム族に別れていて、マナセ族がキルギス・カザフスタンの祖で、エフライム族は日本に渡り天皇家になったとされています。キルギスもカザフスタンも中国人ではありませんし、漢族でも朝鮮族でもありません。

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帰化人から渡来人への変更のわけは?

渡来人 – Wikipedia

日本史歴史用語としては、「帰化人」という呼び名がかつて学会の主流であったが、1970年代戦前皇国史観への反省と植民地統治の是非をめぐる政治的な論争を背景に、「帰化人」という語には、日本中心的な意味合いを含むなどとされてから不適切な用語であるとされ、金達寿上田正昭らにより「渡来人」の呼称が提唱され、学界の主流となった[1]。 このような、一部の主体を中心に他を扱っていた歴史用語の変更は、「地理上の発見」を大航海時代と変更するなど、国際交流が盛んになった20世紀以降にしばしば起こっている。

帰化人秦氏が教科書から消えたのは、反日団体の圧力もあったようですね。

しかし、そうではなくて、渡来人という表現は正しいと思います。しかしお隣の国が文化を伝えたというのは、大間違いです。半島は通り道だつただけです。古代日本に時期を変えて大挙してやってきた秦氏一族は、間違いなく、日本文化の礎であり、日本人らしさのスピリットを伝え、当時のハイテク最先端技術を伝え、思想的にも文化的にも、産業的にも政治的にも、多大な影響を与えたことは間違いありません。

しかし、「半島が日本に文化を伝えた」という主張は間違っています。秦氏一族とは何者かと言うと、秦の始皇帝の末裔だということになっていますが、中国人ではありません。ましてや、韓国朝鮮人でもありません。間違いなく、中東に居た古代イスラエルの消えた十部族のうちの人々だと思います。そういう意味で、日本の礎となった秦氏や渡来してきた人々は、帰化人というより、渡来人と呼ぶのが適切だと思います。

 

秦氏は、今でいうカザフスタン辺りから日本にやってきたようです。

戦前までは、秦氏の祖は、中国の秦の始皇帝であったと言われていました。現在は否定とも肯定ともハッキリとは言えません。

そもそも始皇帝の出自を疑問視する説もあります。

当時の秦氏が、自分たちは秦の始皇帝の末裔だと言い張っていたのです。秦氏が残した『秦氏本系帳』という文献に、秦氏の首長の系図があります。それによると秦始皇帝から秦の皇帝名が続き、最後が河勝秦造(秦河勝)、になっています。秦造に吹きました(笑)ところが秦氏が祖先は秦始皇帝だと言い出すまは9世紀前後になってからなのです。そのころはさかんに中国文化が日本に入って来ていたころで中国の唐の時代は、唐の都の「長安」は世界最大の最先端の国際都市だったわけです。

つまり最先端の中国の秦始皇帝が祖先ということにすればステータスだったから、ホラ吹いたという主張もあります。

それはどうでしょうね?私は 失われた十部族のハイテク集団が秦始皇帝に使えて万里の長城を建設し、当時のハイテク文化を中国に伝えたのですが、始皇帝の横暴な人使いに、苦役に耐え切れず、集団逃亡して日本に逃れてきたと思っています。

しかし本当の秦氏の祖先の弓月君の話も、弓月君の祖は秦始皇帝と言われていますから、始皇帝の枝の末裔でないかとも思います。

『新撰姓氏録』に「秦氏の祖・弓月君が、その百二十七県の民を率いて来帰」とあります。

弓月は万里の長城の外にあり、そこから秦一族は逃れてきた

キルギスの言い伝えに、「先祖のある兄弟が、一人は山の方に行ってキルギス人になった。もう一人は海の方に行って日本人になった。

まるで日本神話の「山幸彦、海幸彦」のようですね。キルギスには「マナス・エピック」があります。マナスの叙事詩です。

これは聖書に出てくるマナセです。イスラエル十部族の一つです。

弓月は、中国西端の外側、バルハシ湖の南、イリ川付近にありました。弓月は中国語では「クンユエ」と読みました。弓月国は基督教国でした。西アジアや中央アジアの多くの国は2世紀、くらいから基督教国になってました。原始基督教を受け入れ、東方基督教の教会を形成していました。

弓月国の民は遊牧民で広範囲に移動しました。弓月国の秦氏は、中央アジアから中国に、中国から朝鮮半島を経て日本にやってきたようです。

古代の中国の皇帝たちは、征服した周辺の民族を使役して、万里の長城の建設にあたらせました。

『後漢書』東夷伝(五世紀)「弓月の人々もその苦役に耐えかねて、満州を経て、朝鮮半島に逃れました。朝鮮半島でも彼らは苦境に追い込まれましたが、それを助けて保護したのが、日本の天皇でした。

隠された十字架の国・日本より

三国志・魏志東夷伝の秦一族

魏志東夷伝によると、秦一族は「背の高い人々で、衣服を清潔にし、特別な言語や風俗を持つ人々であり、また、王は馬に乗り、高い文化を持つ人々であった。と述べられています。(三世紀)

「衣服を清潔にし」というのは、古代東方基督教やユダヤ人に見られる特徴です。古代のヨーロッパ人や中国人は、風呂に入る習慣もなく、衣服を洗うこともしませんでした。

秦氏の清潔好きは、そのまま日本人の特徴にあてはまりますね。

応神天皇の時代に大挙してやってきた渡来人

秦氏はいつ渡来してきたか?なのだけけれど、日本書紀と古事記の記載が違うのです。思うに、一世紀前に秦始皇帝の親族の徐福が日本に木てり、各地に徐福伝説があります。たくさんの徐福伝説があるにもかかわらず、徐福については謎のままです。物部氏の祖になったという説もあります。

秦氏渡来の記録としては、「功満王」と名乗る人物が日本にやってきています。功満王の子が融通王で、融通王は弓月君の別名でした。

 

弓月君 – Wikipedia

帰化の経緯は『日本書紀』によれば、まず応神天皇14年に弓月君が百済から来朝して窮状を天皇に上奏した。弓月君は百二十県の民を率いての帰化を希望していたが新羅の妨害によって叶わず、葛城襲津彦の助けで弓月君の民は加羅が引き受けるという状況下にあった。しかし三年が経過しても葛城襲津彦は、弓月君の民を連れて帰還することはなかった。そこで、応神天皇16年8月、新羅による妨害の危険を除いて弓月君の民の渡来を実現させるため、平群木莵宿禰的戸田宿禰が率いる精鋭が加羅に派遣され、新羅国境に展開した。新羅への牽制は功を奏し、無事に弓月君の民が渡来した[2]

弓月君は、『新撰姓氏録』(左京諸蕃・漢・太秦公宿禰の項)によれば、始皇帝三世孫、孝武王の後裔である。孝武王の子の功満王は仲哀天皇8年に来朝、さらにその子の融通王が別名・弓月君であり、応神天皇14年に来朝したとされる。渡来後の弓月君の民は、養蚕や織絹に従事し、その絹織物は柔らかく「肌」のように暖かいことから波多の姓を賜ることとなったのだという命名説話が記されている。(山城國諸蕃・漢・秦忌寸の項によれば、仁徳天皇の御代に波陁姓を賜ったとする。)その後の子孫は氏姓に登呂志公秦酒公を賜り、雄略天皇の御代に禹都萬佐(うつまさ:太秦)を賜ったと記されている。

日本三代実録元慶七年十二月(西暦884年1月)、惟宗朝臣の氏姓を賜ることとなった秦宿禰永原、秦公直宗、秦忌寸永宗、秦忌寸越雄、秦公直本らの奏上によると、功満王始皇帝十二世孫である。(子の融通王は十三世孫に相当。)

秦氏のルーツの失われた十部族の宗教は?

キリスト教とはユダヤ教から派生した宗教ではなくて、キリスト教からユダヤ教が派生したと『失われた原始キリスト教徒「秦氏」の謎』飛鳥昭雄・三神たける著にあります。いったいどういうことか?言っている意味がわからない?(笑)

イエス・キリストは新しい宗教を開いたのではなくて「隠されたユダヤ教の奥義」を公開しただだといいます。キリスト教は門外漢なので今ひとつわかりません。ではその隠されたユダヤ教の奥義というものが知りたくなります。

紀元前後のユダヤ教『失われた原始キリスト教徒「秦氏」の謎』からイエスが公開した奥義については次の記事に述べることにします。

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